市井文学

植草一秀/ウエクサ・レポート(2006年を規定するファクター)

はじめに

 『金利・為替・株価特報』(=『新・植草レポート』)は、私が1990年夏から13年半にわたり執筆し続けた『金利・為替・株価週報』(=『植草レポート』)を2004年11月に発行再開したものである。2004年4月に私は、決して許すことのできない冤罪事件に巻き込まれた。その詳細については、単行本として2006年2月に出版予定であるので、ここで詳細に触れることはしないが、私を陥れる大がかりな策謀が存在したのだと理解している。そのような事態に直面するなかで、多くの心ある人々が信頼と支援の手を差し伸べてくれた。そのような人々の温かい強い支援に支えられて、2004年11月に会員制レポートの発行を開始した。本書は1年分のレポートを収録した『年次報告書』=『アニュアル・レポート』である。
 1990年に私がレポートを執筆し始めた理由は次のようなものだった。1990年前半、日本のバブル崩壊が始動した。1989年12月29日に38,915円の水準を記録した日経平均株価は90年10月1日に20,221円に暴落した。わずか9ヶ月の期間に48%の株価下落が生じた。未曾有の激しさを伴った株価暴落だった。当時私は株式市場の調査を担当していなかった。金利・為替市場の調査、分析を担当していた。
 1990年年初、債券市場も激しい価格暴落に見舞われた。1990年の年明けから、債券価格が音も立てずに暴落を始めた。90年年初の市場動向では、株価下落よりも債券価格下落のマグニチュードが圧倒的に大きかった。私は、90年の年初の金利急上昇を観察して株価暴落を予知し、来るべきものが来たと直感した。
 私は、すでに89年2月の野村證券債券関連本部の合同ミーティングで、バブル崩壊に対する警告のレポートを発表していた。「円高・金利低下・株価上昇」が日本のバブル経済の基本構造である。しかし、この基本構造は早晩、大転換する。「円安・金利上昇・株価下落」の基本構造に転換する日は遠くない。証券会社の戦略として、まだ十分に認識されていない、このリスクシナリオを想定していまから対応策を検討する必要がある。基本構造大転換に対する布石を打つべきだと訴えた。
 私は89年2月の会議で、報告したレポートの題名を「USC」と表現した。「Unrecognized Significant Crisis=認識されていない重大な危機」の頭文字からこのように命名した。証券会社は「円高・金利低下・株価上昇」の基本構造により、わが世の春を謳歌していた。株式、エクイティーファイナンス、債券のいずれもが、未曾有の好況の恩恵を享受していた。その裏側に、恐るべきリスクが近づいていることには、誰も気付いていないように見えた。 私は当時、バブル経済の活況とは距離のある静かな部門である、債券市場のリサーチを担当していた。現場から少し離れた場所にいたために、少しものごとがよく見えていたのかもしれない。バブル経済の活況が永遠に続くとは考えられなかった。マクロ経済の分析を進めるなかで、経済環境の逆転が早晩生じるであろうことを想定し、社内の戦略会議で警告を発したのである。
 1989年の年末、私は一人で、調査担当役員の部屋を訪ねた。担当役員と株式投資ストラテジー担当責任者が二人で雑談をしていた。私は、その二人に「90年の年初以降、株価は15%程度以上、下落する可能性が高いと思う」と述べた。長期金利の上昇傾向が続いていたことがその根拠だった。私が野村のリサーチに入社以来、初めて株式市場について言及した言葉だった。担当役員は「俺は強気だな」と述べ、会話はそれだけで終わった。90年元旦の日本経済新聞には財界人、専門家の経済・金融見通しが掲載された。日経平均株価4万円、5万円、7万円の見通しが新聞を賑わしていた。
 90年年初に長期金利が急上昇し始めたときに、私は「来るべきものが来た」と考えた。しかし、外交で過去に訪問した機関投資家にこの見解を伝えることはできなかった。1990年までは、営業活動に同伴してのプレゼンテーションでは、悲観的な見通しを示すことは難しい空気が支配していた。うそを述べていたわけではないが、営業のスタンスと逆行する見通しを述べることは差し控えられる空気が証券会社の社内を支配していた。 90年年初に、市場環境が抜本的に転換したと私が判断したとき、結果的に考えれば、私は直ちに過去に訪問した機関投資家などに、見通しの変更を伝えるべきであった。しかし、そのような接触をまったく持たないまま、半年ほどの時間が経過した。債券相場は大暴落し、機関投資家は債券価格下落に伴う大損失に直面した。
 リサーチを担当する一人のエコノミストとして、深い自責の念を感じるとともに、重要な教訓を得た。先行きの予測は、常に中立公正の立場から述べるべきこと、見通しを変更した場合には、できるだけ早くそれを伝えなければならないこと、を痛感した。証券会社の営業戦略に悪影響を与えかねない見通しを公式に示すことはそれでもはばかられる空気が、しばらくは支配していた。そこで、私は個人的にレポートの執筆を始めた。
 私が執筆したレポートは社内の経営幹部に配布する取扱注意の資料でもあった。このレポートを私は同時に、訪問したことのある顧客に対するフォローアップ用の資料として活用することにした。顧客を訪問した後に、見通しを変更することはいつでも生じうる。その見通し変更を顧客に伝えられなければ、問題が生じる。顧客が見通しを信頼して、見通しに沿った投資戦略を実行している場合、後に投資が大きな損失を生んでから、「実は見通しを変更していた」と説明しても、顧客から信頼を失うだけである。顧客に対するフォローアップのために『金利・為替・株価週報』の執筆を始めたのだ。
 1990年以降、13年半にわたって私はレポートの執筆を続けた。すべてのレポートは保存され、少部数であるが製本もして保管している。いずれ整理して公開することも検討している。2003年4月に早稲田大学に移籍したタイミングでレポート執筆を中断した。それ以来、レポート発行継続を求める声をたくさんいただいてきた。会員制レポートとして再発行することを検討しているさなかに、私は事件に巻き込まれた。結局、事件後の2004年11月に再発行することになった。
 今回、編集者の田中清行氏の勧めもあり、過ぎ行く1年間を振り返り、新しく到来する1年を展望するために、1年分のレポートを取りまとめて単行本を出版することにした。いずれのレポートにおいても、私はそれぞれの時点での見通しを明確に記述し、投資戦略の提案も行なってきた。 経済学者、エコノミストには、未来に対する関わりにおいて、研究上の二つのスタンスがある。経済学者は主として過去の現象を研究の対象とする。過去に発生した事象を分析・研究し、法則性を見出そうとする。あるいは、学問的仮説について、過去の現実データを使用して検証する作業がしばしば行われる。しかし、未来について言及することは避けられることが多い。未来についての言及は、時間の経過とともに結果が判明し、学者にとって必ずしも快適な状況を作らないためである。
 私の研究者としての出発点は「インベストメント・リサーチ」である。投資戦略立案のためのリサーチが私の研究活動の原点である。1992年に上梓した『金利・為替・株価の政治経済学』もこの視点に立って執筆したものだった。常に、未来について大胆に見解を示すことを基本としてきた。超能力者ではないから、未来をすべて予言することはできない。予測がすべて的中することはありえない。しかし、それでも未来に対して果敢に挑戦するところに、インベストメント・リサーチの価値が存在すると私は考えている。
 それぞれの時点でのあらゆる情報をもとにして未来を考察する。当然、状況変化、想定とは異なる事態の発生ごとに見通しの修正を迫られる。したがって、見通しは常に修正してゆかなければならない。明らかな見通しの間違いを生じることもある。間違ったときに重要なことは、間違いに気付いたら直ちに修正することだ。間違いを起こすことよりも間違いを引きずることの方が罪は重い。
 「未来と向き合う研究」、これが私の研究の特徴である。さらにひとつ特徴をあげるなら、「政治プロセスの重視」である。現実の経済・金融変動は、経済の自律的な変動メカニズムによって内政的に生じる部分と、経済に対して外部から加えられた力によって生じる部分とによって構成される。このうち、経済に対して外部から力を作用させる経済政策決定は、政治からの影響を強く受ける。政治状況、政治過程の分析無しに経済政策についての前提条件を置くことはできない。
 このことは、国内経済政策においてだけでなく、政府などの諸外国との折衝、政策論議においても無視できない点である。経済・金融の分析に、政治プロセスについての考察は不可欠である。単なる「経済学的分析」ではない「政治経済学的分析」が重要なのだ。政治、経済、金融は不可分に結びついている。その相互関係を的確に分析することができて、初めて予測精度の向上は可能になる。

 2005年の執筆レポートを振り返って読むと、インベストメント・リサーチの視点からの反省点と納得点がそれぞれに存在する。反省点のひとつは、日本企業の設備投資意欲の強さを過小評価したことだった。企業の設備投資意欲は基本的に企業収益に連動する。大企業の企業収益が大幅に増大するなかで、2005年の企業の設備投資は結果として2004年を上回る可能性が高まった。2005年度当初の日銀短観に示された2005年度設備投資計画などを重視しすぎて、設備投資の基調を慎重に判断しすぎたことは反省点のひとつである。
 第二の反省点は、海外経済の前提の置き方が実勢よりも慎重であったことだ。2004年の日本経済浮上は、米国、中国を中心とする海外経済の拡大によるところが大きかった。2005年に、米国、中国での経済調整が生じれば、日本経済に少なからぬ影響が生じていたはずである。米国、中国経済のミニ調整のリスクを重視したが、結果的に米国、中国経済の本格調整は生じなかった。
 設備投資の基調が強く、同時に海外経済の堅調が持続し、日本経済は景気失速に直面することを免れた。いま述べた二点に対する見通しを順次修正してきた。結果としては、日本経済が景気失速を回避して2006年にかけて再浮上する可能性が徐々に強まりつつある。2005年前半、在庫出荷循環上の景気失速リスクは現実に存在した。仮に海外経済が調整局面に直面していた場合、日本経済が連動して失速する可能性は高かったと考えられる。だが、現実には海外経済と国内設備投資が堅調に推移して、日本経済は失速せずに2006年に向かうことになった。
 他方、レポートにおいて、的確な判断を示すことができたのは、以下の二点である。第一は、金融市場変動の軸として米国のインフレ懸念と金融政策対応を位置づけたことだ。グリーンスパンFRB議長は2004年6月に金利引上げ措置を始動させた。以後、おおむね6週間ごとに開催される連邦公開市場委員会(FOMC)で、FRBは2005年11月まで12回連続で利上げを実施してきた。グリーンスパン議長率いるFRBが、先行きを洞察し抜いて確固たる姿勢で、政策の采配を振ってきたことがよく分かる。この米国の金融政策対応こそ、過去1年間の世界の金融市場変動を規定した最重要のファクターであった。
 私は『特報』復刊以来、一貫してこの問題の重要性を指摘してきた。段階的な金融引締め政策により、インフレの顕在化が回避されてきた。ドル為替レートは財政赤字減少のニュースをも追い風にして上昇傾向を強めたが、ドル上昇の最重要のファクターは米国の金利引上げ政策だった。米国の株価は、金融引締め政策が維持されるなかで、NYダウが9,800ドルから10,800ドルのレンジ内での推移を続けたが、この点も私の予測は比較的的確であったと考える。 いまひとつの的確な判断は、8月8日以降の株価上昇についての分析である。8月8日、郵政民営化法案が参議院本会議で否決され、同法案は廃案になった。
 「郵政民営化法案が否決されれば株価は暴落」というのが、事前の市場観測だった。ところが、株価は法案否決直後から反発上昇に転じた。8月16日号のレポートでは、小泉政権が終焉するとの見方が浮上して株価が反発したのではないかとの見通しを示した。
 この見解そのものは正しいものではなかった。その後の選挙戦情勢で小泉政権優勢の情報が広がっても株価上昇は持続したのだ。8月8日まで、日本の株式市場は米国市場との連動関係を強く有していた。米国市場がボックス相場である以上、日本市場でも本格株価上昇を見込みがたい状況にあった。しかし、8月8日以降、日本市場の動向ははっきりと変化した。いわゆる「相場つき」が一変したのである。私はこの変化の意味を深く考えた。その結果として私は、理論値から大きく下方に乖離した日本の株価が、理論値の方向に水準修正する「逆バブルの解消」が始動したとの見解を提示した。
 私は、1990年の年初に、バブル崩壊の時代に転じたことを明確に把握し、先述した野村證券社内での報告レポートを外部発表原稿に書き直して発表した。90年2月19日に発売された『週刊金融財政事情』1990年2月19日号に「金融機関の資金運用戦略は抜本的変革を迫られている」と題する論文を発表した。「円高・金利低下・資産価格上昇」の基本環境は終焉し、「円安・金利上昇・資産価格下落」の基本環境が到来する。金融機関は資産価格の持続的上昇を前提にした、不動産担保全面依存の資金運用戦略を抜本的に修正する必要があると主張した。
 奇しくも株価は論文が発表された90年2月19日から暴落を始めた。このときの株価暴落の基本性格は、「バブル崩壊」だった。理論価格から大幅に上方に乖離した株価が理論値に向かって水準修正を始動したのである。「きっかけ」は総選挙だった。「総選挙で自民党が勝てば株価は持ち直す」というのが、市場の事前観測だった。選挙は自民党の勝利に終了したが、株価は暴落していった。選挙は株価変動の「原因」ではなく「きっかけ」だったのだ。 私は、8月8日以降の株価上昇を「逆バブルの解消」と判断した。衆議院の解散・総選挙は株価上昇の「原因」ではなく「きっかけ」になったのだと判断している。株価は郵政民営化法案が否決されたのに上昇し、また、その後に小泉政権が有利に選挙戦を進めているとの状況が伝えられても上昇したのである。
 株価が理論的な基準から判断して割安であるとの見解は、私独自のものである。マーケットでこのような見解は聞かれなかった。私は1992年に『金利・為替・株価の政治経済学』(岩波書店)を上梓している。2001年には『現代日本経済政策論』(岩波書店=第23回石橋湛山賞受賞)を上梓している。理論的な見地からの株価決定について考察を深めてきた。企業利益、長期金利、市場心理が株価決定の基本三要素である。
 私は日本の株価が理論的な見地から判断して大幅に下方に乖離した状況にあると判断した。8月8日以降の株価急上昇を観察し、この動きを、理論値から大幅に下方に乖離した株価が理論値の方向に水準修正を始動させたものであると直感した。小泉政権が選挙に勝利したから株価上昇が生じているのではない。解散、総選挙は株価変動の「きっかけ」を与えたに過ぎないと判断したのである。
 また92年以降の株価上昇局面の事例も念頭に入れて、2006年央までの大幅株価上昇予想を早期に明示し、この見通しを維持した。低PERセクター、業績上方修正業種を中心に参考銘柄も提示してきた。この原稿を執筆しているのは2005年11月末だが、これまでのところレポートに執筆してきた流れに近い現実推移が観察されている。一瞬先は闇だから、常に警戒しなければならないが、基調判断が正しいことを願っている。
 米国の金融政策動向が市場観測の背骨をなすことを重視した点、8月8日以降の日本の株式市場急変について、早期にその意味を明示し、その後の株価上昇を的確に予測できた点は、インベストメント・リサーチにおける望ましい成果であったと自任している。

 私は2001年11月に刊行された『ニュースで磨く経済のカン』(日経ビジネス人文庫)に、「2004年、日本は大浮上を始める」(第2章)とのタイトルで文章を発表した。2003年に日本経済が「陰の極」を通過して、その後、浮上し始めることを予言した。この予言は的中しつつある。経済金融変動のなかでもっとも重要なことは、1990年の年初来13、4年にわたって続いてきた、「バブル崩壊」がようやく転換点を通過したと考えられることだ。短期、中期の循環では、いわゆる「綾戻し」が今後も何度も発生するだろう。しかし、「長期のトレンド転換」こそが重要である。
 『ニュースで磨く経済のカン』のなかで、私は「これからの2年間が株式や不動産などのエクイティー資産の最大の投資チャンスになるかも知れない」と記述した。日経平均株価は2003年4月28日に7607円を記録した。バブル崩壊後の最安値になったと考えられる。
 日本経済を金融恐慌の渕に追い込んだのは、小泉政権の「改革」政策だった。「退出すべきは退出」の政策で「大銀行倒産=金融恐慌」のシナリオが現実のリスクとしてわれわれの目前にまで迫ることになった。結局、小泉政権は「改革」政策を全面放棄した。「大銀行は税金で救済」に政策を180度転換し、日本崩壊、政権崩壊が回避された。 国土交通省発表の基準地価によれば、2005年7月1日基準の地価は東京で15年ぶりに上昇に転じた。地価は二極分化の傾向を強めているが、株価に対して1年遅行して不動産価格のトレンドも大きく転換点を通過しつつある可能性が高い。
 15年間、日本経済を困窮させたバブル崩壊の強烈なトレンドが、いま大きく転換し始めた。「株価下落、地価下落、経済悪化、物価下落、金融不安、縮小均衡、マイナス思考が支配した時代」が大きく変化し始めている。人口高齢化等の構造変化の影響を考慮しなければならないが、「株価上昇、地価上昇、経済浮上、物価上昇、金融安定化、拡大均衡、プラス思考の明るい時代」の胎動が徐々に確かさを増し始めている。
 2006年の日本経済を洞察する鍵は、日本の株価推移である。株価と景気の本来の関係は、景気が「主」で株価が「従」だ。「景気が良くなるから株価が上がる」のである。だが、2006年は両者の因果関係が逆転する可能性がある。「株価が上がるから景気が良くなる」逆転の因果関係が発生するかもしれない。
 この逆転した因果関係は、1990年から92年にかけて観測された。90年年初からバブル崩壊が始動した。激しい勢いで株価が下落し、地価も遅行して下落した。日本経済はこの資産価格下落を最大の要因にして不況に突入したのである。 先に述べたように、私は2005年8月8日以降の株価上昇を、日本の「株価逆バブル」の崩壊始動と判断している。理論的妥当値から著しく下方に乖離した日本の株価が、衆議院の解散・総選挙を「きっかけ」に上方へ水準修正を始動したと判断したのである。
 株価は2006年央にかけて、さらに大幅に上昇する可能性がある。仮に株価が本格上昇するなら、連動して日本経済も本格浮上するだろう。現状の日本経済の回復は設備投資の堅調に強く依存した不完全な状況にある。企業収益の好調を背景にして設備投資は堅調に推移している。しかし、個人消費の基調は依然として脆弱だ。企業の労働コスト削減方針が堅持され、雇用者所得の伸びが低位で推移しているからだ。
 株価が本格上昇すれば個人消費は上振れすることになる。このときに見落とせないのが、株価上昇が新しい「プラス循環」を生み出す可能性が高いことだ。バブル崩壊期には、「株価下落―景気悪化―金融不安―株価下落」の「魔の悪循環」が発生した。今度は逆に、「株価上昇―景気浮上―金融拡大―株価上昇」の「正の好循環」が発生する可能性がある。
 予断を持つことは危険だが、2006年の日本経済には明るい展望を持つことができる。当然のことながら、米国経済、中国経済などの海外経済の変調には十分な注視が必要だ。米国経済、中国経済に大きな波乱が発生すれば、日本経済はその影響を免れない。他方、国内要因でもっとも警戒しなければならないのが経済政策である。1990年以降に四度生まれた日本経済本格浮上のチャンスは、ことごとく政策逆噴射によって破壊されてきた。
 私はすべてのタイミングで警告を発してきたが、残念ながら時の政権にその声は聞き入れられなかった。96年の消費税増税決定の際、私は全力を注いで強い警告を提示し続けたが、史上空前の緊縮政策が実行され、日経平均株価は1万円暴落、日本は金融危機に突入した。2000年4月、私は小渕政権の経済浮上重視の政策スタンス維持を強く訴えたが、小渕首相が病に倒れられて以来、財政当局と小泉政権が主導した超緊縮財政政策で日経平均株価は1万3000円の暴落、日本経済は金融恐慌の渕に陥れられかけた。
 2007年7月に参議院選挙があるために、参議院選挙まで小泉政権は消費税大増税をあまり際立たせずに政策を進める可能性が高い。消費税増税は2007年7月の参議院選挙後に本格論議に入り、2008年4月に引き上げられるだろう。2007―2008年の政策逆噴射には十分な警戒が必要である。逆に言えば、2006年中は財政政策による「政策逆噴射」が日本経済に重大な影響を与える可能性はあまり高くない。このなかで、株価と経済の浮上がどこまで進展するか。その展開に期待が持たれる。
 2006年のより大きなリスクは、金融政策変更にある。消費者物価上昇率が安定的に前年比プラスを記録するようになれば、日本銀行は、まず量的緩和政策を縮小し、しかるのちにゼロ金利政策解除に向かうことになる。1987年から1990年にかけての金利上昇局面を振り返ると、日本経済が急激に本格浮上した1987年、年後半に長期金利が急上昇した。その後、いったん金利は低下したが、1889年5月の公定歩合引上げから半年経過した1990年年初から、長期金利の激しい本格上昇が始まった。
 2006年に日本経済が本格浮上するなら、2006年には長期金利の急上昇に十分な警戒が必要である。87年の事例を踏まえるならば、株式市場にはそれほど強い下落圧力を与えない可能性が高いように思われるが、警戒は必要だろう。1987年の株式市場では、金利低下で恩恵を受けるセクターが株価上昇の中心に位置する「金融相場」から、業績拡大を主軸に株価上昇が進行する「業績相場」へと、相場変動の性格が大きく変化した。2006年の日本の株式市場でも同様の変化が生じる可能性が想定される。
 私は2006年の日本経済浮上の可能性が高いと考えるが、今回はこの経済改善を必ず維持してゆかねばならないと思う。2007―2008年に予想される消費税増税論議においては、日本経済の持続的成長を最優先し、経済に過度の負荷をかけない範囲内での適切な方法での増税策を検討しなければならない。
 90年代後半以降に財政当局と小泉政権が主導してきた逆噴射政策は、多数の罪無き国民に耐え難い苦しみを与えてきた。「世を経め、民を済う」のが「経済」政策の目的である。三度目の政策大逆噴射だけは是が非でも防がなければならない。政権に「もの申す」ことが憚られる空気が言論空間を支配しているが、純粋な洞察に基づく、良心に偽りのない声を、あらゆる妨害を乗り越えて、私は今後も唱え続けてゆく覚悟である。

2005年12月


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